2006年 06月 05日
格差より希望がテーマだ(7)希望は社会と自分の関係から生まれる |
格差はみんなが騒ぐほどはない、というようなことを書いた。でも格差があるといえばある。バブル前のように会社に勤めていれば収入が上がる時代ではない。
格差の下の方にいるとして、そこから脱け出すにはどうしたらいいか。
まちがっても、前回のこのブログに対してトラックバックしてきたような、一獲千金のサイドビジネスに手を出すことじゃない。金もうけありきで金もうけしようとしても、金もうけはできない。それはホリえもんが身を呈してぼくらに示してくれた。
お金は社会の中で循環している。収入を得るとは、その循環の中で自分の位置を得ることだ。収入が低いとしたら、そんな循環の中で価値あるポジションを確保できていないということだろう。
価値あるポジションとは、つまりは自分の価値を明示できないと獲得できないに決まっている。自分自身で価値を示すのは大変だから、会社という組織を通してポジションを得るのがわかりやすい。とくに若い人はね。
でもほんとうの自分の価値は、会社があろうがなかろうが示せないといけない。あるいは、既存の会社組織とは無関係に自分の価値を示せれば、絶対的なポジションとなる。そうなれば、社会を循環するお金を自分の価値にふさわしい分、得ることができるわけだ。
自分の価値を示すには、社会の中での自分の役割を見出すことだ。だから、「世の中にとって自分はこんな価値を持ちたい」と考えることが大切だ。
ややこしい言い方をしたけど、手順としてはこんなことだ。
いまの社会で自分が問題だと思うことを見出す。そしてそれが一定数の人びとにとっても問題だと確信が得られるか検証する。次にその解決策を考える。いい解決策が見つかりそれを実行すれば、収入が得られる。(若い人はこの”検証”をしないことが多い。気をつけようね)
例えば、有機野菜をもっと食べないと子供たちによくない、という問題点を見出す。みんなにとっても問題だし、かなり多くの人びとが同じような思いを抱いているとわかった。そして有機野菜の農家をうまくネットワークする方法と、それをほしがる人びとに適切なコストで送り届ける方法を編み出す。これを事業化すれば収入が得られる。
”有機野菜”なんていう例がちょっときれい事過ぎるけど、社会の中での自分のポジションを見出すことで、社会を循環するお金を獲得する、ということのわかりやすい例だ。うまいシステムをつくれば、身体を酷使しなくても高い収入につながるかもしれない。
”理念がお金になる”とはそういうことだ。お金を儲けよう、というところからはじめるのではなく、世の中の人びとにもっと健康的な食をもたらせないか、という思いがお金になるのだ。
実際はこんなきれい事ではすまないだろう。いろんなところで駆引きだの、いがみあいだの、闘いや葛藤だのがあるだろう。でも、理念ではじめたことは強いはずだ。そんなドロドロも乗りきっていけるにちがいない。
反対に、お金もうけをもくろんではじめたことは弱いだろう。ちょっとした困難を乗りきれない。うわ、有機野菜やったら儲かると思ったのに、こんな大変ならやめとこう。数年辛抱したらなんとかなったかもしれないのに、モチベーションがお金だけでは続かないのだ。仲間もついてこないだろうし。
希望が見えない時代だ。でもほんとうは、見えないのではなく、希望を見出そうとしないだけだ。それは、社会が人びとに”お金”以外の価値を与えていないからだ。
お金以外の価値。それがこのブログのタイトルである”愛と責任”なんだ。”愛と責任”を自覚することで、社会と自分の関わりが生まれ、自分の価値が生まれるはずだ。そうすれば、希望がわいてくる。生きる勇気がわいてくるはずだ。
格差の下の方にいるとして、そこから脱け出すにはどうしたらいいか。
まちがっても、前回のこのブログに対してトラックバックしてきたような、一獲千金のサイドビジネスに手を出すことじゃない。金もうけありきで金もうけしようとしても、金もうけはできない。それはホリえもんが身を呈してぼくらに示してくれた。
お金は社会の中で循環している。収入を得るとは、その循環の中で自分の位置を得ることだ。収入が低いとしたら、そんな循環の中で価値あるポジションを確保できていないということだろう。
価値あるポジションとは、つまりは自分の価値を明示できないと獲得できないに決まっている。自分自身で価値を示すのは大変だから、会社という組織を通してポジションを得るのがわかりやすい。とくに若い人はね。
でもほんとうの自分の価値は、会社があろうがなかろうが示せないといけない。あるいは、既存の会社組織とは無関係に自分の価値を示せれば、絶対的なポジションとなる。そうなれば、社会を循環するお金を自分の価値にふさわしい分、得ることができるわけだ。
自分の価値を示すには、社会の中での自分の役割を見出すことだ。だから、「世の中にとって自分はこんな価値を持ちたい」と考えることが大切だ。
ややこしい言い方をしたけど、手順としてはこんなことだ。
いまの社会で自分が問題だと思うことを見出す。そしてそれが一定数の人びとにとっても問題だと確信が得られるか検証する。次にその解決策を考える。いい解決策が見つかりそれを実行すれば、収入が得られる。(若い人はこの”検証”をしないことが多い。気をつけようね)
例えば、有機野菜をもっと食べないと子供たちによくない、という問題点を見出す。みんなにとっても問題だし、かなり多くの人びとが同じような思いを抱いているとわかった。そして有機野菜の農家をうまくネットワークする方法と、それをほしがる人びとに適切なコストで送り届ける方法を編み出す。これを事業化すれば収入が得られる。
”有機野菜”なんていう例がちょっときれい事過ぎるけど、社会の中での自分のポジションを見出すことで、社会を循環するお金を獲得する、ということのわかりやすい例だ。うまいシステムをつくれば、身体を酷使しなくても高い収入につながるかもしれない。
”理念がお金になる”とはそういうことだ。お金を儲けよう、というところからはじめるのではなく、世の中の人びとにもっと健康的な食をもたらせないか、という思いがお金になるのだ。
実際はこんなきれい事ではすまないだろう。いろんなところで駆引きだの、いがみあいだの、闘いや葛藤だのがあるだろう。でも、理念ではじめたことは強いはずだ。そんなドロドロも乗りきっていけるにちがいない。
反対に、お金もうけをもくろんではじめたことは弱いだろう。ちょっとした困難を乗りきれない。うわ、有機野菜やったら儲かると思ったのに、こんな大変ならやめとこう。数年辛抱したらなんとかなったかもしれないのに、モチベーションがお金だけでは続かないのだ。仲間もついてこないだろうし。
希望が見えない時代だ。でもほんとうは、見えないのではなく、希望を見出そうとしないだけだ。それは、社会が人びとに”お金”以外の価値を与えていないからだ。
お金以外の価値。それがこのブログのタイトルである”愛と責任”なんだ。”愛と責任”を自覚することで、社会と自分の関わりが生まれ、自分の価値が生まれるはずだ。そうすれば、希望がわいてくる。生きる勇気がわいてくるはずだ。
by sakaiosamu
| 2006-06-05 01:33
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